プラユキ・ナラテボー | 苦しまなくて、いいんだよ。

苦から自由になる教え

内容(「BOOK」データベースより)
タイ・バンコクから北東へ三五〇km。奥深い森の寺で出家した日本人僧のもとを今なぜか、訪れる日本人が増えている。ある人は心を病み、ある人は人生に行き詰まり、救いと癒しを求めて、遠路いとわず訪ね行く。ブッダの叡智と慈悲心を受け継ぐ僧による“現代の対機説法”。仏教のやさしさにつつまれる本。

 

 

 

 

苦しまなくて、いいんだよ。 [Kindle版]

プラユキ・ナラテボー (著)

Kindle 価格: ¥ 1,080

 

 

 

 

タイで出家された日本人僧侶プラユキ・ナラテボー師の名作『苦しまなくて、いんだよ。』Kindle版が発売になります!

 

ストレスフルな日常に疲弊している人

心について学びたい人

ブッダの知恵、瞑想について学びたい人

 

必読の書です。タイで出家しているプラユキ・ナラテボー師に会いに来た日本人と師の対話を通じて、ブッダの叡智とやさしさにふれることができます。

 

苦しみは解決できる
現実の生活に役に立つ教え
人間関係を安定させる仏教
「今ここ」の現実に気づく
物質世界の算数から、心の世界の数学へ
言葉が影響する三つの要素
「瞑想的」コミュニケーション
気づきの瞑想法
瞑想の注意点
「今ここ空間」を開く
「苦を生ずる欲」と「正しい欲」
「集中」よりも「気づき」
心は自由にデザインできる
苦しみも知恵に転換できる
自分のイヤな部分を他人に投影している

 

など、生きる力がみなぎってくる、現実の生活に活かせる知恵がたくさん収録されています。すでに瞑想を実践している方にもきっと新しい発見があります。

 

目 次

 

プロローグ 苦から自由になる教え

 

第1章
苦しみと向き合い、苦しみを超える──四聖諦編
 エピソード@ 理由のない落ち込み
 レクチャー@ 苦しみは解決できる

 



 もし私が誰かから、「心病み苦しみ続ける現代人に、八万四千もあるブッダの膨大な教え(法門)のなかで、まずどの教えを一番早急に伝えなければならないと思うか?」と問われたら、真っ先にこの「四聖諦」を挙げるでしょう。
 なぜならこの教えには、「苦しむ義務はないんだよ」「苦しみは自分で解決できるよ」「苦しみを滅する方法もちゃんとあるよ」という、悩み苦しむすべての人に大きな希望を与えるメッセージが込められているからです。
 そして注目すべきは、このブッダの宣言は、「人間なんだから、苦しむのは仕方ない」「心が不調をきたしたら、病院で薬を処方してもらうしかない」、あるいは「苦しいときは神様、仏様に救いを請いなさい」といったような、一般的な苦しみへの対処法とは著しく異なっている点です。
 いうなれば、ブッダは「自力による救済の可能性」を示唆していたということになりましょう。そして、それが間違いなく誰にとっても可能であるとして、その方法についても、段階を踏みながら、微に入り細をうがち懇切丁寧に示してくれています。

 

第2章
よき仲間とともに、苦しみを超える──善友編
 エピソードA 愚痴も積もればイヤになる
 レクチャーA 仏教の実益性

 



「仏教」と聞くと皆さんはどんなイメージを抱かれるでしょうか?
 お葬式やお墓参りといった先祖をまつる儀式的なイメージでしょうか? 極楽浄土のような死後の世界に関連したイメージでしょうか? それとも、禅道場などで悟りを目指して雲水(禅宗の修行僧)たちがストイックな修行をしているイメージでしょうか?
 私自身も日本に住んでいた頃は、このような普通に日本人が抱くイメージを仏教に対して持っていました。しかしタイに来て“開発僧”と呼ばれる僧侶たちと出会い、その後正式に出家得度し、タイという風土のなかで仏道修行を重ねるにしたがい、そのイメージは大きく変わっていきました。
 その頃は、仏教に対して、「死」「悟り」「極楽浄土」など、なにか遠くにある漠然としたつかみどころのない教えという感じを抱いていました。ゆえに、現実を生きるうえでそれをどう活用していけるのか、今ひとつイメージできませんでした。
 それがタイで修行を積むにつれ、仏教が非常に合理的で、現実に根ざし、私たちの日常生活にも具体的に活用ができる「生きた教え」であることがわかってきました。そして、どんな人でも容易に実践ができて、すぐにでも何らかの結果が現れる、とりわけ苦しみという厄介なものを実際に滅していくことができる教えであるとの確信を得られたのでした。

第3章
与えることで、苦しみを超える──布施編
 エピソードB‐T 寝ても覚めても上司が憎い
 エピソードB‐U 自分を卑下し続けた人生
 レクチャーB 他者も自分も生かす道

 



 日本において「布施」といえば、お坊さんやお寺への金銭的な寄付という意味で使われることが多いようです。しかし、原義はそのような範囲に限定されていません。僧侶や寺に対してだけではなく、誰に対して施し与えることも布施なのです。


 上座仏教系では「布施」を大きく「財施」と「法施」の二種類に分類しています。「財施」はお金や物品を与えることです。「法施」は必要な知識を与えたり、善き教えを伝えたりすることです。「財施」は現実生活ための直接的な支援であるのに対し、「法施」は当人がその後自らに頼り自助できるようになるための支援と分類してもいいでしょう。たとえれば、魚を直接与えるのを「財施」としたら、魚の釣り方を教えるのが「法施」ということになりましょう。

 

第4章
言葉の力で、苦しみを超える──善口編
 エピソードC‐T 正しいことを言ったのに非難される
 エピソードC‐U 自分の気持ちをうまく表現できない
 レクチャーC 言葉はいのちを救う

 



 私自身もお寺に来られた人に対しては、通常の瞑想指導の他に、一人ひとりとの面談の時間をしばしばとって対話を交わします。タイ東北部の山奥までわざわざやって来る日本人はそれほど多くはないですから、必然的に訪問者一人ひとりとの「対機説法」調になってくるわけです。
 また、最近では手紙の他に、通信環境が整っているときにはメールのやりとりもするようになってきました。対話を通して悩み苦しんでいる人たちの気持ちを受け止め、丁寧に言葉を紡ぎながら、相手にいかに心やすらかになってもらえるか、洞察を深めてもらえるかは、とてもやりがいのある日々のチャレンジです。
 そうしたなかで私自身、師僧の説法や瞑想実践から学びえたブッダの教えについての理解を実践的に深め、もともと大の苦手だったコミュニケーション能力を高めることができました。これもみな、遠路はるばるお寺を訪れたり、手紙をくれたりして、さまざまな悩みを打ち明け、相談を持ちかけてくださった人たちのおかげだと思っています。

第5章
「今ここ」に気づき、苦しみを超える──瞑想編
 エクササイズ 気づきの瞑想
 エピソードD‐T 欲いっぱい“真っ黒な私”
 レクチャーD‐T 欲を意欲に、怒りを知恵に
 エピソードD‐U 夢に現れる深層意識
 レクチャーD‐U 苦しみからの解放

 



 この「集中」と「気づき」の区別は、瞑想に取り組み始めたばかりの人にとってはなかなか難しいものかもしれません。私自身もその二つを明確に区別できるようになるまでにはそれなりの時間がかかりました。その要因として、日本にも仏道をはじめとするさまざまな精神修養や心の鍛錬の伝統こそあれ、そのほとんどが「集中」を基盤に置いたものと言ってよく、「気づき」の価値を強調したものはあまりないからだと思います。
 しかしながら、この「気づき」の価値を発見し、それを瞑想法に組み込んだことこそが、いわばブッダの真骨頂であり、心との取り組みの歴史における最大のエポックメイキング的な出来事であったと私は確信しております。


「欲」も「意欲」も、「何らかの行動を喚起させるエネルギー(動因)」であるということ自体に変わりはありません。しかし、そのエネルギーが「欲(タンハー)」では粗大な感覚的快楽や、その「果」の獲得へと向かい、一方「意欲(チャンタ)」では、真や善といった高次の価値や苦の滅却、そしてそれを実現するための「因」へと向かいます。ですから、そのようなことを自ら理解し、あるいは丁寧に教えられて、そういった方向に心を変容させていく訓練を積んでいくわけです。
 私はこれを「心を育てる」と称しています。自分の体験からも、また、瞑想指導を通じて変化していく人たちのようすを見るにつけても、これは確実に可能であり、また適切なアプローチであるとの確信を深めています。

 

エピローグ スカトー寺の森から

 

付 記 これからの仏教

 

あとがき

 

 


プラユキ・ナラテボー

 

 仏教は決して死者のための儀式要綱でもなく、哲学的な思索に留まるような机上の空論でもなく、また、一部の人たちのための悟りマニュアルでもありません。この世に生を享け、苦しみに直面する人間誰でもが活用できる苦しみからの解放の教えであり、その道を歩み始める者は、今この瞬間から苦しみを減ずることができ、やがては完全な滅苦にまで至ることができる。そういう教えです。
 この本を読まれ、自分のなかに眠っている可能性(仏性=ブッダクオリティ)に気づき、自身を心から慈しめる人がひとりでも増えていきますように。さらにその慈しみの気持ちが、まわりの人たちへ、そして、「苦しみ」を絆としてつながる、すべての生きとし生けるものたちにも注がれていきますように。
(本書プロローグより)

 

2018スケジュール

 

・3月10日(土) 第3回アーナパーナサティ実践講座

 

・3月13日(火) 自他の抜苦与楽を『ダンマパダ』から学ぶ会 東京

 

・3月15日(木) 個人面談会 大阪

 

・3月18日(日) 「気づきの瞑想」の効果を考える会 東京

 

・3月21日(水・祝) お話と瞑想の会 大阪

 

・3月22日(木) 個人面談会 京都

 

・3回講座 「八正道」講座〜仏教の智慧を生かして幸せになるためのヒント〜 東京

 

・3月27日(火) 自他の抜苦与楽を『ダンマパダ』から学ぶ会 東京

 

最新情報はプラユキ公式サポートブログ「よき縁ネット」にて公開中

 

〈著者紹介〉
一九六二年、埼玉県生まれ。上智大学文学部哲学科卒。タイ・スカトー寺副住職。大学在学中よりボランティアやNGΟ活動に深く関わり、卒業後、タイのチュラロンコン大学大学院(政治学部社会人類学専攻)に留学。農村開発におけるタイ僧侶の役割を研究。一九八八年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとにて出家。以後、自身の修行のかたわら、村人のために物心両面の幸せをめざす開発僧として活動。またブッダの教えをベースにした心理療法的アプローチにも取り組み、医師や看護師、理学療養士など医療従事者のためのリトリート(瞑想合宿)がスカトー寺で定期的に開催されている。近年は、心や身体に問題を抱えた人や、自己を見つめたいとスカトー寺を訪れる日本人も増え、ブッダの教えをもとにしたサポートを行っている。また日本にも毎年招かれ、各地の大学や寺院での講演、有志主催の瞑想会まで、盛況のうちに開催されるとともに、仏教の教えをもとにしたカウンセリング(個人面談会)も行なっている。著書に、「『気づきの瞑想』を生きる―タイで出家した日本人僧の物語」(佼成出版社)。「苦しまなくて、いいんだよ。」(PHP研究所、Evolving)。「脳と瞑想」(篠浦伸禎氏との共著、サンガ)。監訳書に「『気づきの瞑想』で得た苦しまない生き方」(佼成出版社)。その他、雑誌・新聞寄稿も多数ある。プラユキ公式サポートブログ「よき縁ネット」。

 

 

 

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